もう秋だと交差点の夕暮れの日差しの眩しさと涼しさから感じた次の2秒後、すぐ冬か。と思って沈み込む。外に出ればロボットのようにスーパーに行って惣菜弁当を買って、家にかえる途中に出会う人達をみるだけ、コードはかけずじまいだ。陽の影に隠れたように静か。

静かな夜だとおもう。なにもない朝だとおもう。それをみるまでもなければ陽を浴びずとも感じられるし確かめる必要すらないのではと。

あまり個人的なことを書いても仕方ないため、いくつか説明する。そのほうが全員にとってかるい話になるはずだ。プログラマというのは職業病として鬱になる時期っていうのがある。例えば納期に追われていた時とか、或いは一年間ずぅとプログラミングしまくってそれ以外のことをしてなかったことに人生で何やってんだ?という状態に陥る。それらのことだ。だからこれは、一見してこういう文章を書くというのはまずいメンタルの状態なのでは?と疑うかもしれないが俺が問題ないしすぐ立ち上がってコードをかけるようになるだろう

これは、自分ひとり休んでも疲れをとれない病のようなもので生きている実感というもののなさに30代も入る間際となって自分なにしてんだ?疑問符を身体が訴えかけているだけ。心配いらない

心配なのは看護師だ。眠たいのかよろけてこけそうになっていた。或いは前日の書類を今日分と見間違えていた。彼らにはケアが必要だし自由な時間が必要だ。私が代わりたいと思うが残念ながら私はプログラミングで役立てるしジュースやお菓子を渡すことはできるが、看護業務の力になれるわけではない。だから意味はない。

時折、一人でなんでもできたらいいと思うがそうはいかない。悲しいが、そうだ。

しょうじきなところ、私はどうすればいいのかわからない

計画がない。もはやわからない。

書く気力もそうない

休むと時間を無駄にしている感もあるし、音楽も小説も映画もドラマもそれらすべてに対し興味が失せていくのとを感じる日々だ、まるで、カフカの世界だ。

心沸き立つものはなにもない。考えてみると恐ろしい。朝がのぼって夜がきて昼がくる。毎日毎日永遠と終わらない日々が続いている。ぞっとする。痛みを乗り越えてひとにやさしい言葉をかけてももはや何も感じられなくなるぐらい心の隙間が広がっていくように思う。感じて、乗り越えても次の瞬間には後ろの道が消えている。そんな感じだ。どちらに進めばいいのか、珠海にいる気分だ迷い込んでGPSを失いかけてしまっている。どこに行けばいい。何をすればいい。どうすれば役に立てるのか考えてみたがもはや考えも起こりつかぬ。疲れているのか?それはない。自由な時間がある。暇なのか?いや、ここ1年開発ぶっ通しだった。

気持ちを使い果たしたかもしれない。それに疲れているのだ。気持ちの育ちそうなもののない日々に生きる実感がなくなってしまっている。補充が必要だ。

赤の他人の言葉より身近な者の言葉を聞きたいが。又は、いや、または、どうすれば可能性を生み出せると考えたが、もはやそれも疲れた。私は今、ただ、受け入れいているだけの状態だ。抜け殻のように。

自分の状況を説明しすぎることはネガティブになってよくない。知っているし理解しているけれど

あなたじゃない。と言われている気がする。

茶のもう